うみちゃん乳がん日記

おっぱいから血が出て乳がんと告知されました。

手術の為の入院。1日目。(過去の記録:9月のこと)

9月入ってすぐ入院出来たので、予定が一週間だけど、月をまたぐことなく高額療養費が被らずすみました。

 

高額療養費は入院が決まっていたので、前もって加入健康保険組合に「健康保険限度額認定証」を出して貰って、入院時に提出することで相殺されて請求されることになりました。

これが月毎なので、月をまたぐと限度額が2倍になってしまうので、わたしは運が良かったです。

 

夫に午前中休んで貰って、入院は一緒に来て貰いました。

わたしのことで度々休むのは不満みたいだったけど、彼が入院したときはわたしは毎日行きましたよね?と、いってやりたかった!(角がたつから言わなかったけど…)

 

新型コロナの流行で、まずわたしと夫の体温を計って、それから病棟へ。

ここで夫とはお別れで、今日から退院までは基本会えないことに。

差し入れはナースセンターへ、その時に洗濯物は持って帰って貰うという形です。

手術の前後はちょこっと会えるということです。

考えてみたらこんなに旦那とも子どもとも会わないなんてことないから、寂しかったです。

 

病室は個室を希望していたけど、空いてなくて空き待ちで大部屋に案内されました。

仕事の電話などかかるので個室が良かったけど仕方ないです。

 

案内された部屋は5人部屋だったけど、入院時は2人居ました。

1人はカーテン閉まってて、もう1人は点滴してました。この点滴の方は後に分かりましたが抗がん剤治療で入院してたんですね。

 

病着を渡されたけど、今日は特にすることもなく夕飯まで自由に過ごしてくださいと言われ、いつ病着に着替えるかなって感じで、お風呂入りに行くまで着たときの服で過ごしました。

午前中入院したのに、お昼すぎお風呂入りに行って、夜6時に夕飯で、9時に下剤飲んで、寝れなかったら眠剤飲むって感じで、何も入院らしいことはしてません。しいていえば夜9時以降は手術の翌日まで何も食事は出来ません。

 

ただ、ひたすら明日に控える手術に緊張する時間を過ごしました。

その中で、同室の人との会話はすごく有り難かったです!

 

カーテン閉まってたとこの人がお昼ごはんでカーテンを開けてくれて、その方がすごく話しかけてくれました。

その人をここではNさんとします。

Nさんは、わたしと同じ年で7年前に卵巣がんになって、転移を繰り返しその中で人口肛門になって、食事制限したりしてました。

入退院を繰り返してるらしく、看護婦さんや患者さんと親しくて、明るい人で、わたしも彼女が居てくれてすぐに馴染むことが出来ました。

この年の3月に、もう3ヶ月後の予定は入れない方がいいと言われていて、つまり先が見えない状況なんでしょうけど、明るくて、ムードメーカーです。

「7年頑張ったんだから、絶対がんで死にたい、コロナなんかで死にたくない」と言ってました。

 

もう一人の抗がん剤の治療をしていた方は、Hさんとします。

Hさんは、20年前に乳がんになって全摘し、20年たって腰が痛くなって整形外科に行ったら乳がんが再発したとのことでした。

年齢は60過ぎくらいかなと思います。

整形外科の手術のあと、抗がん剤治療で定期的に入院してるとのこと。

入院は3日で、中日に抗がん剤治療して、翌日退院、つまり明日退院とのこと。

20年経って再発するんだ!とビックリしましたが、Hさんは「20年自由に過ごせたから良かった」と言っていて、20年前は子どもも小学生だったけど、もうお孫さんも居るみたいでした。

 

二人が居たので、緊張が和らいで何とか10時過ぎに寝つくことが出来ました。

でも、夜中2時頃起きちゃって、それからはうとうとしながら朝まで寝てるか起きてるかって感じでしたけど…。

 

この時は、ガンかもってあまり思ってなくて、胸を切り取ること、全身麻酔なことが怖くて、手術を頑張れば不安から解放されると思ってました。

 

続き

手術の日(過去の記録:9月初旬) - うみちゃん乳がん日記

 

これまでの話

入院までの2週間(過去の記録:8月半ばから9月初めまで) - うみちゃん乳がん日記