手術の日(過去の記録:9月初旬)
全身麻酔で乳管線葉区域切除術をする日は、緊張からか午前2時頃からちゃんと眠れなくなってうつらうつらしながら朝を迎えました。
朝ごはんはもちろんなし。水分はお茶と水のみ9時まで飲んでよしということで、わたしは炭酸水飲んでました。(看護婦さんに聞いたら炭酸水は水と同じ扱いで良いというので)
9時前に外来まで降りて手術場所にマジックで印を付けられました。
10時頃から点滴を始めました。
手術前までに、トイレ行って歯磨きしておくように言われて、手術着に着替えるように声をかけられるまで待機。
緊張がすごかったです。
朝10時すぎには抗がん剤治療で入院していたHさんは退院して行きました。
代わりにわたしの隣に、Iさんが移動してきました。
子宮体がんの手術を終えて、移ってきたのです。
わたしが手術前で落ち着かないと、Iさんは「分かるわ~」と共感してくれました(^^;
「寝てる間に終わるよ(^^)」って言ってくれて、同室のNさんも「全身麻酔だから何にも覚えてないよ(^^)」って言って「大丈夫だよ(^^)」って励ましてくれました。
手術は午後一時半頃予定してましたので呼ばれるのは一時頃かなと思っていて、夫は午後休み取ってやってくる打ち合わせだったけど、看護婦さんが一応早く来てもらってと言うので連絡しましたけど、昨日の入院で午前休みしてるからそんなに早く行けないと言われました。
でも、12時過ぎたら慌てて来てくれたので12時45分くらいには来てくれたので、手術には間に合いましたけど…。
その頃に、そろそろ着替えてと声をかけられたので、トイレ行って歯磨きして、手術着に着替え弾性ストッキングを履きました。
看護師さんが、車椅子で迎えに来てくれて手術室へ移動。
その途中のエレベーターから手術室までの間に夫と移動しながら面会。
まぁ、頼りにはならない男だけど、居ないより良い(笑)
手術室に入ったら、ここまで車椅子で来たのに降りて歩いて手術台に乗りました(^^;
なんで車椅子で来たんだろうって思っちゃいました。
名前と手術部位を聞かれ、「今から点滴に麻酔入れまーす」と言われ、20秒くらい数えたところで、あっ効いてきたなって感じて…名前を何度も呼ばれ目が覚めました。
「手術終わりましたよ」って、ホント覚えてない!一瞬に感じました。
目が覚めたときは、身体は痛く感じません。
目が覚めた時に、口から何か出された感じがしました。人口呼吸器を外したんでしょう。
この時に時計を確認したら4時すぎでした。
目が覚めたのでベッドに乗せられ病室へ移動。
その途中の手術室からエレベーターで病棟階までの間に夫と面会。
「手術どうやった?」「予定通りだよ」程度会話しました。
手術後はナースセンターの隣の病室で看護されました。
足に、血栓予防のためにマッサージ機みたいなものと心電図の機会をつけられて、点滴されてました。
定期的に傷口の確認に看護婦さんが来てました。
麻酔が覚めてからハッキリ覚醒してたので、LINEで友達や家族と連絡とったりしてました。
看護婦さんには「午後の手術なんですね。午前の手術かなってくらいハッキリしてますね(^^)」って言われたくらいです。
夫とLINEで、手術後の先生の説明でしこりがあったことが分かりました。それと、結果次第ではまた手術が必要とのこと。
手術前の説明では悪性腫瘍があってもその後は放射線治療のみと聞いていたのでショックでした。
夫は深く考えてなくて何も先生に聞いてくれてなくて、本当に頼りにならない男だと思ってしまいました(._.)
調子に乗ってLINEしまくってたら、寝てるのに立ちくらみみたいになって、やっぱりキツいんだなって思い、寝ようしました。
ところが、寝つくと看護師さんが来て、の繰り返し(笑)
どうやらわたしの心拍数が40くらいに下がるようで、様子を見に来ちゃうんですね。
そもそも心拍数少なくて50台なんですが、それでも少ないですよね(^^;
血圧も低くて上が100いかないくらいなんで、それも心配されましたがそれもいつもです(^^;
でも、入院して手術まで120あったんですって。
やっぱり緊張してたんですね!
身体って正直…。
そんなこんなで何とか手術の日を終え、寝たのか寝てないのかって感じで翌日を迎えました。
放射線治療10日目
今日で放射線治療10日目になります。
まだ、特に目立った皮膚トラブルは発生してませんが、毎日眠い!疲れてるのかな、だるくて眠くなるので仕事に支障きたしてます。
あと、関係ないかもだけどボンヤリしてるのか運転があやしい。
車で駐車場出口を逆走しかけたりして、子どもや旦那に認知症疑われる始末です(-_-;)
放射線医師の診察が毎週火曜日にあるので昨日聞いたら、放射線治療の影響でボンヤリすることはあるけど、認知障害はないから関係ないかも?と言われました。
入院手術して、ガン告知され、放射線治療で…目まぐるしかったから処理できてないのかも?
すごく運転気をつけてるので、かなり仕事制限してます。
全部で25日なのであと15日。
手術の為の入院。1日目。(過去の記録:9月のこと)
9月入ってすぐ入院出来たので、予定が一週間だけど、月をまたぐことなく高額療養費が被らずすみました。
高額療養費は入院が決まっていたので、前もって加入健康保険組合に「健康保険限度額認定証」を出して貰って、入院時に提出することで相殺されて請求されることになりました。
これが月毎なので、月をまたぐと限度額が2倍になってしまうので、わたしは運が良かったです。
夫に午前中休んで貰って、入院は一緒に来て貰いました。
わたしのことで度々休むのは不満みたいだったけど、彼が入院したときはわたしは毎日行きましたよね?と、いってやりたかった!(角がたつから言わなかったけど…)
新型コロナの流行で、まずわたしと夫の体温を計って、それから病棟へ。
ここで夫とはお別れで、今日から退院までは基本会えないことに。
差し入れはナースセンターへ、その時に洗濯物は持って帰って貰うという形です。
手術の前後はちょこっと会えるということです。
考えてみたらこんなに旦那とも子どもとも会わないなんてことないから、寂しかったです。
病室は個室を希望していたけど、空いてなくて空き待ちで大部屋に案内されました。
仕事の電話などかかるので個室が良かったけど仕方ないです。
案内された部屋は5人部屋だったけど、入院時は2人居ました。
1人はカーテン閉まってて、もう1人は点滴してました。この点滴の方は後に分かりましたが抗がん剤治療で入院してたんですね。
病着を渡されたけど、今日は特にすることもなく夕飯まで自由に過ごしてくださいと言われ、いつ病着に着替えるかなって感じで、お風呂入りに行くまで着たときの服で過ごしました。
午前中入院したのに、お昼すぎお風呂入りに行って、夜6時に夕飯で、9時に下剤飲んで、寝れなかったら眠剤飲むって感じで、何も入院らしいことはしてません。しいていえば夜9時以降は手術の翌日まで何も食事は出来ません。
ただ、ひたすら明日に控える手術に緊張する時間を過ごしました。
その中で、同室の人との会話はすごく有り難かったです!
カーテン閉まってたとこの人がお昼ごはんでカーテンを開けてくれて、その方がすごく話しかけてくれました。
その人をここではNさんとします。
Nさんは、わたしと同じ年で7年前に卵巣がんになって、転移を繰り返しその中で人口肛門になって、食事制限したりしてました。
入退院を繰り返してるらしく、看護婦さんや患者さんと親しくて、明るい人で、わたしも彼女が居てくれてすぐに馴染むことが出来ました。
この年の3月に、もう3ヶ月後の予定は入れない方がいいと言われていて、つまり先が見えない状況なんでしょうけど、明るくて、ムードメーカーです。
「7年頑張ったんだから、絶対がんで死にたい、コロナなんかで死にたくない」と言ってました。
もう一人の抗がん剤の治療をしていた方は、Hさんとします。
Hさんは、20年前に乳がんになって全摘し、20年たって腰が痛くなって整形外科に行ったら乳がんが再発したとのことでした。
年齢は60過ぎくらいかなと思います。
整形外科の手術のあと、抗がん剤治療で定期的に入院してるとのこと。
入院は3日で、中日に抗がん剤治療して、翌日退院、つまり明日退院とのこと。
20年経って再発するんだ!とビックリしましたが、Hさんは「20年自由に過ごせたから良かった」と言っていて、20年前は子どもも小学生だったけど、もうお孫さんも居るみたいでした。
二人が居たので、緊張が和らいで何とか10時過ぎに寝つくことが出来ました。
でも、夜中2時頃起きちゃって、それからはうとうとしながら朝まで寝てるか起きてるかって感じでしたけど…。
この時は、ガンかもってあまり思ってなくて、胸を切り取ること、全身麻酔なことが怖くて、手術を頑張れば不安から解放されると思ってました。
続き
これまでの話
入院までの2週間(過去の記録:8月半ばから9月初めまで) - うみちゃん乳がん日記
入院までの2週間(過去の記録:8月半ばから9月初めまで)
乳管線葉区域切除術をするため入院することを決めた訳ですが、手術2週間前(手術すると決めた日)に手術前検査をしました。
血液検査、尿検査、CT、心電図、肺活量。
さながら、健康診断?
そして、問題なしで手術と入院の予約。
家族への説明が必要とのことで、夫に来てもらいました。
改めてどんな手術か詳しく聞くと、右胸の右下にある乳管が血が溜まってるみたいで拡張してるらしく、それを全部取るとのこと。
乳管は枝葉みたいになってて、乳頭からまっすぐ一本ある訳じゃなく葉っぱみたいに広がってるから、乳頭(いわゆる乳首)から端まで切り取ると4センチ×7センチのショートケーキみたいな形を取ることになるんだそう。
えっ!乳首も取るの?
正直ビックリしてしまいました(-_-;)
先生曰く、乳管一本分取って縫い合わせるので乳首はスリムになるだけで残るとのこと。
でも、乳首縫ったら痛そうじゃない?
手術するかしないかの話の時に話して欲しかった!って思ってしまいました…
どうせ全身麻酔で分かんない内にするからおんなじなんでしょうが…
乳首は毛細血管があるから、切って縫ったとこがうまくつながらなくて血流悪くなって乳首が縮んじゃう人が手術後ほんの一部いるとの説明も受けました。
その時は乳頭再生する手術とかと出来るとのこと。
昔、奈美悦子さんがそんな手術してなかったっけ?とぼんやり考えてました。
その他に、全身麻酔の説明をして貰って、同意書書いて、入院の説明を事務センターでして貰いました。
新型コロナが流行中なので、入院まで県外行かない県外の人と会わない、人混み行かない、毎日検温と健康チェックシート記入。
県外の人と会えないんなら、東京在住の息子に高校生の次女をみて貰う為帰郷して貰うのはどっちにしろ無理やったんや!
これって、シンママとかで手術するのに県外の親に来て貰うとかもアウトな訳で…(._.)
世の中、難しい…。
胸を取るので、最後になるかもだから温泉行ったりしたかったけど、感染予防的には控えた方が良いのかな?ってモヤモヤ考えました。結局、行かなかったから、手術したし見た目だけじゃなく感染症の心配とかでもう全然行けなくなっちゃって、手術前に一度は行けば良かったと後悔してます。
入院のために色々買ったけど、大きな買い物は眼鏡です。
普段はコンタクトだけど、入院中はコンタクトダメみたいなので、眼鏡を買いました。
ついでに老眼気になってきたのでらしく、遠近両用眼鏡にしました。
後は、メンタルの準備。
体温を毎日計って健康状態を記入しないといけなかったので、それが日に日に埋まっていくのがカウントダウンみたいでメンタル削られました。
「乳管線葉区域切除術」とか「全身麻酔」とかで検索検索しながら、緊張と戦いました。
出産を4回もしたわたしだから、それに比べたら似たようなもんだと言い聞かせ、大丈夫大丈夫と思うけど、寝れない日々でした。
多分良性だから、これ乗り越えたら終わり!と思う気持ちもありました。
入院前に加入してる保険の確認もしました。
そこで、とんでもないことに気がつくのです。(これは、また後日詳しく書きます!)
仕事も、入院に合わせて終わらさないといけないことをバタバタ済ませたり、事務の子や関連会社の人に連絡したり。
気づけばあっという間に入院の日になりました。
入院の次の日が手術で、手術の時には家族が来てないといけないので、夫が休んで来てくれるとこになってましたが、入院の日は歩いていけ的な感じで、友達や知り合いがビックリしてました。
車でいけないんだから、ホントに歩いていくか、タクシーかしかないわけですが、一週間分の荷物持って30分歩く?タクシーだと10分もかからんのやけど何だか悪いですよね。
ホント、旦那のそういうとこ不満しかないです。
結局、周りにあれこれ言われて午前中休んで送ってくれましたけど。
とりあえず、緊張と旦那への不満の中、なんだかんだ入院したわけです。
この前の話
放射線治療3日過ぎて。
先週の木曜日から始まった放射線治療ですが、土日挟んで昨日は3日目でした。
昨日は、始めに書かれた基準線以外にもマジックで照射のための線を引かれました。
もう上半身はマジックの線だらけです(笑)
照射後、右胸が少し日焼けみたいにヒリヒリしましたが、夜お風呂の時に見ても何にもなってなかったです。
放射線治療すると、めっちゃ眠たくなります。
夜まで少しだるいです。
これが放射線宿酔?
人によって食欲不振とかあるらしいけどわたしはなくて、むしろ食欲あっても運動出来ないので太ってまずいです(-_-;)
毎日、午後イチに放射線治療してるけど、午後の仕事が儘ならないので、もっと時間を下げて貰った方が良いかもと、もやもや考えてます。
わたしは自営業みたいなもんなので、簡単に休めるし通院出来るけど、世の中の会社員が通院で放射線治療って、かなり厳しい気がします。
先月、手術で入院して、今月は毎日放射線治療…。
わたしだって、これまでのように仕事出来なくて収入心配です。
がん治療と仕事って両立難しいですよね。